2014年9月11日木曜日

食糧ビルディングを知っていますか

1927年に建設され2002年に取り壊された食糧ビルディングを知っていますか?僕は知りませんでした。2002年、食糧ビルディングが取り壊される直前に行われたイベント、Emotinal Siteの展覧会カタログを見る機会が先日たまたまあり、そこではじめてこのイベントのこと、食糧ビルディングという建物がかつて江東に存在していたことを知ったのでした。

ARCHITECTURAL MAPより引用

食糧ビルディングはもともと米商人たちに建てられたものでした。隅田川等の水運が発達していたこの地域は倉庫街となっており、それにともなって米市場がある場所でした。もともと木造平屋建ての建物でしたが関東大震災で消失、それを機に鉄筋3階建ての建物に再建されました。1階は米問屋が入居し、中庭では仲介業者が客と取引をし、地階では日々の米の価格を載せた東京米報が印刷されていました。

しかし1941年に戦時の食料確保のため市場は廃止されます。コメの生産と流通を国が管理することを定めた食糧管理法が交付される前年のことでした。それから50年余り国が米の生産と流通を統制し、米経済は活気を失っていきました。

食糧ビルディングは米商人の拠点という役割を終え、戦後は江東食糧販売協同組合に受け継がれます。

やがて、小池一子と小柳敦子が食糧ビルディングと出会います。その時、この食糧ビルディングの3階の、かつて講堂として使われていた空間は放置され荒れ果てた状態だったといいます。その後杉本貴志率いるスーパーポテトの監修により修復されたこの空間は佐賀町エキジビット・スペースとしてアートのための場所という新たな役割を担うことになります。1983年のことでした。

それから20年ほどのあいだ、時に名前や運営が変わりながらも文化の拠点として活躍してきた食糧ビルディングでしたが2002年、老朽化による維持困難と経済的な理由から売却され、解体されました。

現在、かつて食糧ビルディングのあった場所には14階建てのマンションが聳え立っています。マンションの説明にはこのように書かれています。
江戸時代より粋な街として継承され続けてきた街並みの中に、都会的なセンスを漂わせ、シンプルでモダンなデザインが映える一棟。ここには、粋を貫く気質だけは連綿と受け継がれ、具現化する居住空間が存在します。
今そこにたつ建物を見て当時を偲ぶ人もいるのでしょうか。うつりゆく街の風景と共に歴史そのものもいずれ消えてしまうのでしょうか。



ちなみにEmotinal Siteというイベントに関する情報は当時のHP含めweb上からあらかた消え去ってしまっています(Web Archiveで一部テキスト情報は残っているものの画像は見られない)。しかし紙で刷られたカタログは何故だか僕のところにたどり着いたり、2014年9月11日現在未だに売られていたりします。

Web Archiveを眺めているとEmotinal Siteイベントを公式に告知していたドメインはその後札幌の歯医者さんに使われていたりして、今は使われていないなどなんというか時の移ろいを感じさせます。

0 件のコメント:

コメントを投稿