2012年4月27日金曜日

ハーモニー

伊藤計劃のことを知ったのは、勤めている学習塾の生徒が読んでいたからだ。どんな話の流れだったか最近読んでいる本の話になり、彼は『虐殺器官 』という剣呑なタイトルを挙げた。そして本の内容よりも著者である伊藤計劃について普段見せない快活ぶりで話しだしたのだった。
その後いろいろとあって彼と合うことはなくなったのだけれど、その時の会話は妙に引っかかっていて、『虐殺器官』を手に取るまでにそう長くはかからなかった。おもしろかったので『ハーモニー 』もすぐに読んだ。

どちらも人という生き物の特性についての話であるように思う。生き物としての人のありうる一面を支配的にしてみたら世界はこうなるだろう、というのがあって、そこに向かうプロセスを説得力をもって描くことを物語にした感じがする。なので物語の完成度はとても高い。若干、登場人物が話にかっちりはまりすぎていて物語の外側に広がりがない感じはするけれど、読んでいて文句なしに楽しめる。

ハーモニー 』では人の意識についての話がメインテーマになっている。先日読んだ新井素子の『チグリスとユーフラテス』の生きる意味というのがテーマになっていた。たまたまだけれど、非常に近いものだよね。人の意識は自我とも言い換えられると思うけど、生きる意味を問うのは自我があるからだろう。「わたしは、なんのために生きているの」という問だもの。自我がなければ生きる意味に悩むこともない。夢を抱くのも自我のおかげ。そういう事を思うと、間違いなく自我の存在が社会の発展をドライブしたはず。そしてより発展した社会の人のほうが生き残りやすかったことがあってひとは強い自我を持つようになったのかもしれない。今となってはその人達が地球規模で広がったわけだけれども、自我はこの先ひとをどっちへつれていくのだろうね。でも、いまのように、いろんな判断を人に任せてしまう風潮がどんどん進んでいったら、一部の人達の間では、自我なんていずれ自然消滅してしまうかもしれないとも思うよ。そっちの方が生き残りやすいかもしれないもの。

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