2012年4月26日木曜日

生きる意味と生きる目的の話:チグリスとユーフラテス


この本を初めて読んだのは中学生か高校生の頃だったと思う。まだ僕が北海道に住んでいた頃だ。SF大賞を取ったとかで、父か母が図書館から借りてきたものを読んだのだった。最近、人のブクログ本棚を眺めていて目に入って、すっごく気持ち悪くておもしろかった、という印象だけが蘇ったので、気になって10数年ぶりに読んでみた。

ある星で滅び行く人類という事実を持って、それまでのその星の人類の所業の無意味さを問う、というのが基本的な物語の構造になっている。

14,5歳の頃の僕はこれを読んでどんなことを思ったんだろう。今となっては全く思い出せないけれど、記憶に残っていたのが「すんごく気持ち悪くて面白かった」という印象だけっだったのだから、人生の意味、とかいったことはあんまり考えなかったのかもしれない。

でも今回読んで、そういう事を考えたのだ。今日も読み返しながら午前中一杯そのことを考えていたし、たまたま、顔を合わせた人に意見を求めたりもした。

思ったのは、生きる意味と生きる目的を一緒にしてはいけないよということ。

僕は、生きる目的なんてものは、ない、と思う。目的をもって生まれてきたなんて、哀れな生き物、と風の谷の誰かが言っていたような気がするけれど、そんな生き物はいないと思う。家畜も細菌兵器も兵器として造られた粘菌も、それら自身がそういった目的をもって生きているわけではない。だいたい生きているものは、総じて死ぬ。かたちあるものはいずれ壊れる。僕もそこらの猫も岩も樹も大して変わらない。石ころが自ら目的をもって存在しているようには僕にはちょっと思えない。

でも生きる意味ってのはあると思っている。ひとことで言えば多様性と相互作用。ひびきあうのが生き物だと風の谷の娘が言っていたように。もともと、同じ言葉や行動であってもその意味っていうのは時代や文化、状況などの背景によって異なる。意味そのものが、ある特定の状況にくっついて生み出されるテンポラリーなものに思われる。
僕が居ることできみが何かを想う。そこに石があったことで誰かが何かを思いつく。僕らの存在が常にユニークな状況を産み出して、これまでにない意味を生み出している。だからそこにいるだけできっと意味があるんだよと思う。というか信じている。

人間は近い将来滅びるかもしれない。そうでなくともいつか太陽が死ねば恒星間移住でもしていない限り全滅だろう。でももしかしたら人間がいろいろやらかしたおかげで変わった元素構成なんかが、ばらまかれた先の何処かで何かに影響をあたえるかもしれないよ。




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