『桐島、部活やめるってよ』をみてきた。
小説は読んでいません。
久しぶりに映画館で映画を見たので、そのおかげで2割増しくらい高評価になっていると思う。映画館の大画面で明るい場面が表示されるだけでドキドキした。あの動悸が作品自体の良さからきた感動だと頭が勘違いしてしまう。吊り橋効果みたいなものだと思う。日常的に映画を見ていたらそんなことはないと思うけれど。
小学校から高校くらいまでの生活に、確かにあった、あるいはあったと今思っている風景の断片をわかりやすく描いている。サッカーでメンバー選ぶところとか。公式サイトの特典映像の女の子4人組の友情についての話も良い。たしかにそこに学校があると思えた。それを積み重ねて物語をドライブさせていく構成はとても好み。
そして橋本愛が凄まじかった。どのシーンも好き。あの美しさ見るだけでも価値あるんじゃないかと思う。
自分の高校生活を省みたり、今の高校生たちを見ていて、ちょっと整合性ないかなと思うところもあるけれど(吹奏楽コンクールの時期とか)、瑣末なことだと割り切ればいいと思う。
この映画を見て思い出した感覚は、高校より中学の時の生活に近い。僕が通っていた高校は進学校だったこともあって、「学業成績」っていう統一されたものさしが一応みんなの頭ん中に入ってた。でも中学の時は「学業成績」とか「運動」とか「垢抜け具合」とか「腕っ節の強さ」とか「趣味に関する知識」とか、いろんなものさしが混在していて、どれも支配的ではなくって、それぞれがそれぞれのものさし使って測り合っていた。小学校中学年くらいまでの、近くに住んでいてみんな仲良し、みたいなところから、それぞれ自分の選んだものさしに則したグループに分かれつつあったのが、決定的になったのも中学の頃だった。映画に出てきた女の子4人組のように。
あの頃、そうやって学校という小さな社会が分化していく中で味わった、安堵と疎外感が胸に蘇ってきてすごく動揺した。その動揺が今も胸に残っているのでこうして書きとめようとしている。
以下は映画を見て思い返した昔話。改竄された記憶の可能性も大いにある。なんとなくメモ。
高校1年生の秋、部活をやめた。3年生が多かったが何故か2年生が1人しかおらず、夏休み前に部長から会計やらなにやら部の雑務を僕が引き継いでいた(さすがに部長になったわけではなかったと思うのだけれどその辺りはよく覚えていない)。
2週間のとても短い夏休みが終わって、休みの終わりに部長が海で亡くなったことを知らされた。葬式の様子はおぼろげに覚えている。
そのあと、僕は部活へ行かなくなって、そのまま辞めてしまった。おそらく。この時期の記憶は曖昧ではっきりしていない。そして何より、イベントとしては少しは覚えているのだけれど、その頃なにを考えていたのか、なにを感じていたのかは、全く記憶に残っていない。
人の記憶や感情は儚い。昔のことを思い出してもし感情が昂っても、それはあくまで今の感情だ。そのもとになる思い出すら大いに改竄されているんだろう。だから、その時々の気持を大切に、なるべく早く行動に反映すべきだと思う。行動はカタチに残るから。なにもせずに考えていたり感じたりしたことも未来の自分を作る要因の一つになるとは思う。けれどそれが未来を大きく変えると思えるほどには、自分を信用出来ない。これは今思い返しての反省。
僕は菊池くんのような万能人間ではなかったけれど、一生懸命やっている人たちを不思議に思いながらも眩しく見ているという点で彼に一番共感したかも知んない。
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