リチャード・フロリダさんのクリエイティブ資本論を読みました。リチャード・フロリダさんはトロント大学の都市社会学者で、クリエイティブ・クラスのコンセプトで有名です。
クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭
3つのTという考えをベースにして、実例による検証と、都市や企業がそれを捉まえるためにどうしていくべきかという話が展開されます。
3つのTとは「Talent(才能)」「Technology(技術)」「Tolerance(寛容性)」で、これらが揃っている場所で価値ある物が生み出されているとしています。
特にTolerance(寛容性)の話は面白いです。
その地域の同性愛者の数から割り出すゲイ指数や、芸術家などの数から導くボヘミアン指数を用いて地域の寛容性を評価しています。
そしてアメリカの各都市におけるそれらの数値と、地域の経済性、発展性に強い相関性を持って寛容性の重要性を訴えます。
そして、この多様な人達に居心地のいい場所に、Talent(才能)が集まり、Technology(技術)と相まって発展を満たしていくという考え方をベースに、都市や企業がどのような環境を提供していくべきかという話を展開していきます。
また、クリエイティブ・クラスという新たな階級のコンセプトについての記述も多いです。彼らにどんな傾向があり、何を好むのか。主にワーキング・クラスとの対比で描かれています。
クリエイティブ・クラスについて著者は、すでに台頭し、これからの社会を主導していく階級としています。けれど著者も懸念しているように、これらの人達自身の階級としてのまとまりや自覚は薄いと思います。
でも僕はそれで良いと思っています。著者の言うようにクリエイティブ・クラスは多様性のある環境を好みます。階級としてのまとまりを求めるという行為は、多様性に対する寛容性とは逆行することのように思えるのです。
正確に言えば、著者は多様性に対する寛容性のある場所をクリエイティブ・クラスは好むとしていますが、クリエイティブ・クラスそのものが多様性を持っているとは断定していないように思います。実際、クリエイティブ・クラスはアクティビティが好きだ、といったように類型化を試みています。
僕はこのところには少し疑問を感じていて、クリエイティブ・クラスそのものが多様性を持っていて、そのような類型によって捉まえるのは難しいのではないかと思っています。(例えば彼らがみんな長時間労働するかどうかは疑わしいと思っています。)
そして、その多様性の中から、またかつてのように大多数の人に受け入れられる(あるいは大多数を支配する)新たなスタンダードが生まれるのかもしれないと思います。でもそれほどのものを生み出すためには多様性という創造性の温床が必要なのではないでしょうか。
だとしたら、社会は一度発散せんばかりに多様なセグメントに分解されていくのかもしれません。著者の言うような現在のクリエイティブ・クラスが階級としてまとまって社会を変えていく、というシナリオはちょっと腑に落ちないのです。