瀧本哲史さんが京大での講義で話されていることをまとめた本、だと思います。
内容を一言で言えば、コモディティになるな、スペシャリティになれ、ということでしょう。あとはご自身の経験からくる、いろいろヒントになりそうなことを散りばめられています。
グローバル化と世界的な技術力や教育水準の底上げによって、ますますコモディティの範囲が拡大していくという状態がまず底にあります。多くの先進国で失業率が高まっているのもそのせいもあるんでしょうか。そのなかで、上手く頑張ってスペシャリティになってねというのが趣旨でしょう。
でも一方で、これまでも、これからも、コモディティな職に就く人たちが多数なのだとは思うのです。ぼくも完全コモディティ人間です。ぼくはきっとこの本を読んでもスペシャリティにはなれないでしょう。そうあって欲しいという他人の足をひっぱる矮小な願望かもしれませんが、これを読む多くの人はきっとスペシゃリティにならないとおもうのです。そもそもさらに多くの人はこの本(あるいはこの本と似た趣旨の本)を読みません。
だからといって、この本が意味ないと言っているわけではないんです。一部の人に刺さればいいんだろうと思います。こういったある種の英才教育てきなものが広く一般に触れられるところにあるというのは素晴らしいことです。その中から優秀な人が受け取っていけよいと思います。
コモディティの話で思い浮かべたのは、途上国と言われる労働賃金の安い国々へコモディ知的な労働が移動して、先進国と言われる国々で失業率が高まって、国の力が衰えたら、やがてはバランスして、どの国でも労働賃金は一緒という時代が来るのだろうかということです。もちろんその過程で労働だけでなく技術移転も進んで先進国と途上国が逆転するということも起こるかもしれませんが、振り子のように行きつ戻りつして最終的にバランスすることはあるのでしょうか。その時、労働はどんなふうに分配されるのでしょう。
そんな世界でも、労働(とそれに伴う賃金)を奪いあうことになるんでしょうか。
こどものころ、科学技術が発展していっておとなになるころにはあんまり働かなくても生きて行けるようにならないかな、と思っていたことを思い出しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿